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ヤンマガのウイニングチケット(今週が最終回だった競馬漫画)を読み、オレもヒト科の動物にすぎない走ることをやめた人間になりかけているのか、と思った。知らないうちに。
それはそれでいいのだが、もうちょっとアグレッシブにいきたい。 辞めたドラムがネタとしてよく「生きてるって感じ共有しようぜ」というようなことを言って失笑されていたが、あながち間違ってはいなかったのだなぁと思う。 共有を強要などすることはないが、自分自身として生きてるなぁ、と感じたいと思うのである。 PR |
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花見はいいね。
自然と笑顔がこぼれる。 そこかしこで。 朝から夜までどれだけ酒を飲んでもオーケーな雰囲気が世の中に蔓延してるのが一番嬉しいんだけどね、結局。 気がつけば日焼けしてるし。 それもどーでもいいくらいの無礼講な感じが花見にはあって毎日がそうならいいのにと思うのである。 ところで花見って日本だけのもんなのかね? |
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ニコ動でタイムシフト予約していた西原理恵子の人生画力対決ライヴを見た。
やばい。 やば過ぎる。 とんでもなくおもしろい。 同企画で雑誌に掲載されていたりする絵でも十分楽しめるがライヴははんぱではない。 出てくる漫画家の声が聴けるし話の内容、ギリギリ具合(多分アウト)、かけあいも最高。 久しぶりに大声で笑いまくり終わらないで~と思った。 絵を描くのも音楽と一緒で生はやはり素晴らしいことがわかった。 |
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歩道の植え込みにペットボトルを捨てる人を久しぶりに見た。
近頃は道端にゴミをポイッと捨てる人はほとんどいないように思う。 コンビニが至る所にあるからなのか。 ペットボトルをポイッと捨てた彼はどんな気分だったのか。 ただ邪魔だったんだろうけど一応隠すように捨てるあたり、何か引け目もあったのかもしれないが。 だったらゴミ箱に捨てればいいのにね。 |
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諦めるまでの時間で、やりたいことなのかどうかはわかるかもしれない。
惰性で長い時間を費やしている場合は別なので、もう1つ要素があれば本当にやりたいことなのかどうかを判断できる気がする。 もう1つの要素が何かを考えようとしない自分は、この「本当にやりたいことの判別について」ただなんとなく思っただけなんだろう。 思考の投げっぱなしジャーマン。 |
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映画を観たとして、どんな話であの役がどうとか、しっかり覚えている人が結構いる。
音楽や他のなんでもそうなんだがやたらしっかり覚えている人が大勢いる。 オレ自身は詳細まではほとんど覚えていることがない。 なんとなくこんなだっけ?という程度の記憶だ。 これってすべてにおいてただぼーっとうわべだけを見たり聴いたりしているということなのだろうか。 しっかり覚えている人は見たり聴いたりしながらいろいろ考えるから記憶として残っているのだろうか。 オレ、本当は覚えていたいんだけどな。。。うーむ。 |
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物事を俯瞰的に見ることができる人、本質を見抜くことができる人・わかってる人はすごいなと最近よく思う。
身近でもそんなゴイスー人がいるわけだが、ゴイスー人と会話をしていると「自分が正しい」と思っていたことも「あれ?自分は何もわかっていなかったのか?」と思い直してしまい、挙句の果てには「自分は間違っている」と思うようになってしまうことがある。 しかし。 他人から見れば間違っていたとしてもそれが自分から見て正解だったりやりたかったら貫けばいい。何と言われようともぶつかり合ったとしても。 ぶつかり合って試して、「お、そっちの方がぶっとんでるな」と思えば受け入れればいい。その受け入れは重要だ。 意見のぶつかり合いにより新しいものはできるのだろう。 そう、なんか新しいと感じるものを生み出したいのだ。 ゴイスー人にはドラゴンボールのナメック星の長老のようにズキューンと漲るパワーと知恵を与えてほしい。 俯瞰で見ることも、本質をわかっていることはもちろん重要だけど、新しい風を感じないものにまとめ落ち着かせるゴイスー人がいたならNOだ。 よりぶっとべる可能性を知ってて教えてくれないゴイスー人がいたとしたらもっとNOだ。 我らもゴイスー人もみんなでぶっとびたいぜ、今よりもっと。 いろいろなやつがいるから一筋縄じゃいかないぶっとんだものができると思ってるぜ。 おっと、ぶっとんでないものになってたら教えてくれ。 ゴイスー人じゃないから気づいてないかもしれんので。シニカルシニカル。 |
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